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2025-12-11 イミグレ

_ [] イミグレ

  朝、ホテルからJFKに移動の予定だったけど、11時間もの遅延で夜の11時過ぎの出発になったので、午前中はチェックアウトまでお仕事モード。午後から、どうしたものかと思っていたのだけど、せっかくだから自由の女神を見に行くことにした。

  ニューヨークやニュージャージーには、何度も来ているけど、自由の女神は、20年くらい前に、マンハッタン島側の公園から遠目に見ただけで、島に渡るのは初めて。

  ニュージャージー側は、元々の鉄道駅の前にフェリーターミナルがあって、そからフェリーに乗り、エリス島と自由の女神のあるリバティ島と回る。最初のエリス島は、まあ巨大な入管施設で、かつての移民は、みんなここから大陸に来ていたらしい。

  というわけで、移民や市民権に関する展示も多々あって、それを見るだけでも時間がかかるので、ちょうど到着してから次の便までの時間が良い塩梅だったりする。

  それにしても、アメリカの歴史的な背景は、日本の封建主義崩壊後の歴史とは、やはり根本的に違うわけで、移民政策云々いうときに、並べて論じれるものではないことを再認識した。

  ここから、次のリバティ島にもう一度フェリーで移動して、ここでは自由の女神像そのものと、博物館が見れる。早い時間だと、あの王冠に上がる事もできるらしいけど、今日は僕が着いた時間には、もう入れなかった。

  後から何も食べてなかったので、フェリーの中でホットドックを食べて、最後のリバティ島でもフィッシュ&チップスを食べて、小腹を満たした。

  リバティ島からもう一度フェリーに乗って、最初の港に戻った。結局は、午後の1時過ぎのフェリーで出発して、戻ったのが四時半くらいということで、想定よりもしっかり時間が費やせたわ。

  ホテルに戻って、荷物をピックアップして、かなり早めだけどJFKに。今回も荷物はキャリーオンだけなので、チェックインカウンタが空いてなくても、ターミナルに入れるので、そのままラウンジで過ごした。

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2025-12-10 Enjoy-Mint

_ [仕事][] Enjoy-Mint

  IEEE SASBの会議は、今日のSASB(Standard Association Stndard Board)で無事に終了。もう、基本的にはかなりシャンシャンだけど、一応参加してますよ的に一つくらいしとかないとね的なSecondをしといた。

  後、日本でのガバメントアウトリーチがかなり古いままなので、そこは治しましょうねという発言は、当然のように天つばになった。でも、SAの担当スタッフとは旧知なので、これは動きやすいかな。

  会議の後、今日も部屋でひたすら書類作りをして、夜に日本とのWeb会議を一つ。その後、さすがにお腹が空いたけど、雨も降ってるし、時間も遅かったので、ホテル内のレストランでシーフード。思ったより良かったので満足かな。

  夜、航空会社からのメッセージで、明日のフライトが11時間くらい遅延するとのこと。金曜日の夕方に帰国の予定が、土曜日の早朝になるので、ちょっと怠いけど、こればかりはどうにもならない。

  明日は、朝にJFKに移動の予定だったけど、これだと昼までホテルで仕事して、午後はちょっと何するかを考えねばという感じだ。

  話違うけど、IEEEに限らず、アメリカって名前入れるノベルティとか好きで、今回もSASBメンバーには、フリースが配られた。それと、受付ではミンティアをなんだかなーなベタベタなダジャレPOPと一緒に配ってた。

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2025-12-09 リカバリー

_ [仕事][][Health] リカバリー

  今朝というか夜中の2:30から某省の標準化関係の会議のため起床。流石に早く寝たので、まぁ問題ないけど、終了後にも3時間ほど二度寝。今朝は、ハドソン川越しに見えるマンハッタンからの朝焼けが綺麗。ここって、海江田君が出現した海域?

  シャワー浴びてから、朝は自分が投票権を有するNesComという新しい標準化作業の開始を承認する会議からスタート。今回も、新規、改定、廃止を含めて150近くの申請を審議、承認し、明日のSASB(Standard Association Standard Board)への答申を承認した。

  前にもこの日記に書いたけど、IEEE SAでは、MyProjectというグループツールを使い、会議の一月以上前からOpen Reviewという作業が始まる。これは、申請されたドキュメントに対し、投票権のある委員がレビューし、提案者に対して質問をし、提案者が答えるという機能がある。このため、疑義のあるものはそれが解決されるまでに、何度も質疑が繰り返され、中には申請者が途中で取り下げたり、次回に回したりする。このような、仕組みがあるから、150近い審議を最終審議の実会合で効率的に決議できる。

  このような仕組みを、日本の各省庁の各種審査、評価でも是非導入してほしいと常々思うのだが、日本の多くの人はこういう仕組みの存在も使った経験もないようで、イメージが掴めないのかもしれない。何しろ、会議の出欠調整でさえ、エクセルなんだもんね。

  それにしても、今朝は微妙な睡眠の取り方をしたからか、頭痛が酷い。NesComの後、部屋に戻って横になっていたら、やっと痛みが消えて、午後のRevComは予定通り傍聴参加。

  夕方、隣のショッピングモールで、ワンタンヌードルを食べて、日本時間の朝の会議にリモート参加。その後、再び仮眠して、夜中に某案件の打ち合わせに出て就寝。

  最近悩まされている立ち眩みは、意識して水分補給を増やしたのと、分散型でも睡眠時間を取っているからなのか、大分改善されてきた。膝の違和感も少しずつ減っては来ている。どうも、この一週間の出張がリカバリーに効いてるのかな。

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2025-12-08 肉のち睡眠

_ [][仕事] 肉のち睡眠

  今日からIEEE SASBの会議で、初日は僕はPatComという会議が投票権者で出席する。あとは、まぁ傍聴となるのだけど、投票権がなくても発言は可能なのは、なかなか素敵。

  IEEE のコンビュータソサエティにTrusted Data SpacesというStandard Committeが組成されるルール改定が上程された。でも、Trustedって何だよと思うので、そこもちょっとツッコミを入れておいた。

  これで、IEEEにもやっとData Spacesという言葉が入り込んできた感じはあるけど、日本にもコンビュータソサエティの人は多いので、ぜひデータ関係で活動をしてほしいとこだ。また、僕が進めてるDTS(Data Trading System) との関係も、早期に明確にすることが良いと思うので、IEEE SA内での調整を要請しておいた。

  昨日表彰されたDTS WGの表彰状とトロフィーの写真を、せっかくだからアップしておこう。

 今夜というか明日の明け方前に、某省の会議が入ってるので、今夜は早めの時間に近くのステーキハウスで、ガッツリと肉を堪能して、一旦就寝することにした。

  ところで、今回の出張中に二つ目の訃報が飛び込んできた。今年初めにお会いして、仕事も趣味も関係があるので、これから色々とお付き合いをと思っていた方で、二ヶ月くらい前にお会いした時は、本当にお元気だったのでびっくり。小淵沢を馬の町として盛り上げると言われてたのに.....とても残念だ。 合掌

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2025-12-07 馬子にも衣装

_ [仕事][] 馬子にも衣装

  今日もひたすら某案件の資料作りにホテルで勤しむ。昼は、近くのラーメン屋で豚骨ラーメンにしたけど、これで20$を超えるのだから悲しいな。まぁ、ここはお茶が無料なだけどマシだけど。

  昼に日本から来ているスタッフと、少し意識合わせをして、午後も資料作りをして、だいぶ先が見えてきた。

  今夜は、IEEE SAで僕が議長を務めるDTS-WG(Data Trading System Working Grop)が、Emerging Technology Awardを受賞したので、その表彰式に参加。

  それにしても、フォーマルウェアなんて着込むのは、何年ぶりだろう。最近は、冠婚葬祭といっても葬祭の方ばかりだから、お祝いの席でのフォーマルは、本当に記憶がないくらい久しぶりだ。IEEE SAのミーティングは、基本的にはカジュアルなので、いつもの仲間達からも、ちょっと揶揄われたりした。

  それにしても、いつものように受賞スピーチもアドリブで、原稿も準備してなかったから、笑いがガッツリ取れなかったのは、ちょっと反省。

  今回は、802の仲間が何人か異なる部門で表彰されて、全体集合写真の後に802系だけのグループ写真を撮ったけど、こっちもそれなりの人数だった。

  時に、フォールウェア着ると、まさに馬子にも衣装だね。

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2025-12-06 初雪

_ [][仕事] 初雪

  想定はしていたけど、ニュージャージーも寒い。今朝は、外を見たら雪が薄らと積もっていた。今年は、山梨で少し舞っていたことはあるけど、地面に積もってるのを見るの初めてかも。

  今日はどこにも行かずに、ホテルでひたすら提案書類の作成。ところどころ、AIの力も借りながら、先が見えるとこまで来たのて、明日には初稿を出せるかな。

  夜は、日本から到着したデータ連携の仲間と、軽く食事。しかしら、フードコートの中のレストランが今ひとつ。それにしても、もう少し円高にならないしらん。

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2025-12-05 LHR-JFK

_ [][仕事] LHR-JFK

  朝食の後Uberとヒースローエクスプレスで、ヒースローに移動。前回、サテライトターミナルCにラウンジがないことを勉強したので、今日はサテライトに行く前にラウンジに行ってみた。ラウンジの入り口では、なんとクリマスデコレーションのお馬さんがお出迎えしてくれた。そういえば、セキュリテイチェックにいた女性も、クリスマスな模様のセーター着てたし、まあこの時期になるとクリスマスモードなんだね。

  定時に出発したBAの便の機内食もクリスマスプレートで、ターキーだったわ。しかし、大西洋線はフライト時間短くていいなぁとつくづく思う。

  予定通りにJFKについて、Jersey CItyのホテルに夕方にチエックイン。今週開催されていた企業会員向けの会議に出ていた日本人の人やSASBの仲間と夕食に出たんだが、なんとアイリッシュパブで、昨日と連チャン。

  それにしても、ホテルの窓から見える風景が、ロンドンとは違いすぎるわ。

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2025-12-04 サバティカル欲しい

_ [仕事][] サバティカル欲しい

  この時期のロンドンは、寒いし雨だし....ホテルの窓から見える景色は、いかにもロンドンの裏寂しさが漂っている。色々と準備しなくてはいけない資料作成に朝から挑んで、昼はホテルの並びのKFCで済ませる。

  午後に、今回ここに立ち寄った目的の面談。もともと、DTAの時に標準化の一部を担ってもらっていたF先生が、サバティカルでイングランドにいるので、こちらで会うことに。居住しているのは中部のノッティンガムなので、ロンドンに出張してもらうことにした。

  少しギャップはあるけど、まあ元々この分野は研究されていた方なので、今度始める標準化で協力してもらうことで、概ね概要を説明し、協力いただくことに。しかし、中身わかってる人とだと、質問もそれなりに根幹のとこになるので、議論は楽しい。

  夜は、近くのシーフードで二人でオイスターなどを食べて、パブでビール。どうも、まだ僕は体調に自信がないので、ビールを一杯だけで、早めに解散させてもらった。

  ところで、僕の知り合いの研究者は、結構サバティカルを堪能しているんだけど、民間の僕にはサバティカルがない。というか、この年齢だと、サバティカルよりリタイアだろって言われるけど、業務を離れてサバティカルで一年ぐらい留学したいなぁ....

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2025-12-03 HND-CHD-LHR

_ [仕事][] HND-CHD-LHR

  朝の便で、羽田からシャルル・ド・ゴール経由でロンドンに。羽田・シャルル・ド・ゴールは、昼間のフライトなので、結構仕事をするにはいい。 今回はJALだったのだけど、この前のフランクフルト行きのルフトハンザと比べると、機内Wi-Fiも安定していて使いやすい。

  想定はしていたけど、パリは寒い。時間には余裕があったけど、T2への移動はセキュリティチェックして、シャトルバス乗ってと、結構めんどくさいな。考えたら、あまりCHDは使ったことがないので、不慣れというのもあるかもしれない。

  CHD-LHRは、1時間半くらいのフライトで、ロンドンはさらに寒い。今回はLHRからバティントンまでヒースローエクスプレスで移動して、荷物もあるのでそこからホテルまではUberて移動。Door to Doorで22時間の移動は、まぁ疲れると言えば疲れるな。

_ [電波][仕事] 訃報

  移動中の機内で、大切な人の訃報を受け取る。メールと合わせて共通の知り合いからのメッセージも届いた。世間一般でいう年齢的な見方からしたら大往生なのかもしれないけど、僕には悲しすぎてしまう。

  1988年頃に会社勤めを辞めて、会社の元上司の知人が経営する組み込み系のソフト開発の会社に参加した。ここでは、家電などの組み込みマイコンのソフト開発をしていたのだが、その時に主要なお客さんが、広帯域受信機で有名なA社だった。

  元々、無線好きだったので、トランシーバーのマイコンや、測定器のGPIB制御装置やらの開発を受託としてやっていた。ここの社長のTさんは、とても先見の明がある人で、日本に最初にPLLを持ってきて製品化し、デジタルシンセサイザ式のトランシーバーで、新しい時代を開いた。その後、周波数を直読できる広帯域受信機で一世を風靡した。

  僕は、一緒にデイトンに行って、DDSを見つけてきて、それを採用した受信機を開発したり、DSPの出始めの時期、アナログの変復調を全てソフトで行うSDRを開発したり、デジタル直交変換を採用して、高い中間周波数でデジタル化する受信機を開発した。

  そして、彼と一緒に1993年頃に西海岸に出張している時に、EDNという雑誌の広告で見つけたのが、DSSSのチップだった。当時、まだチップは完成してなかったけど、直ぐにサンノゼに飛んで訪問して、テストボードをその場で購入して、αチップの評価者となったのが、スペクトラム拡散との付き合いの始まりだった。

  知り合ってから37年くらいになるのだけど、その後の EverySenseの時にも、色々と助けてもらってきた、僕にとっては本当に父親のような存在だ。最近は、なかなかお会いできてなくて、年内に一度は顔を見にと思っていた矢先の訃報で、もうなんとも言えない辛さがある。

  サラリーマン時代の上司達よりも、独立してからお付き合いいただい人たちの方が少し世代が上で、僕にとってのお父さん、お母さん的存在の人は、だんだんと悲しいお別れが増えてきてるのが、最近は寂しくて仕方ない。

  残されたご家族とも親交はあるけど、なんとお声がして良いやら...本当に長い間ありがとうございました。何も恩返しもできなかったかと悔しい思いでいっぱいですが、安らかにお眠りください。 合掌

  


2025-12-02 通信放送融合は永遠のテーマなのか

_ [電波][仕事] 通信放送融合は永遠のテーマなのか

  午前中に東京に移動して、午後は802.11bcに関する検討会。今回は短期間なので、有識者会合と言っても、オレオレ議長で進める。11bcは、無線LANを同報通信として使うので、僕の中ではどうしても通信と放送の融合の話題がチラチラする。

  かつて、某社のハードディスク搭載のTVチューナーを、データセンターに置いて、海外居住者が日本の番組を録画再生するビジネスを、ちょっとだけ取り組んだことがある。

  この時に留意したのは、その装置が誰のものであり、誰が管理し、誰が録画・再送信するかだった。僕らのモデルは、あくまでデータセンターとして、装置を設置する場所と、インターネット回線、トンネリング接続の環境を提供するだけにした。

  利用者は、自らがハードディスク搭載のTVチューナーを購入し、データセンターに送付し、設定と接続の工事を工事事業として依頼する。接続動作確認できた後は、利用者が自ら視聴番組を選択し、録画操作を行うことで、送信可能化処置は、あくまで私的利用の範囲に留めることとした。

まぁ、これでも著作権の観点から文句言う人がいることはわかるので、小規模な実証的レベルで終わりにしたのだが、当時の海外居住者には、喜ばれたものだ。

  しかし、最近はアメリカにいても、ネット経由で日本の地上波どころか、BS放送でもなんでも見放題サービスが、当たり前のように普及している。これって、日本で目くじら立てて、類似のサービス事業者訴訟し廃業させたりしてた団体とかは平気なのかと不思議でならない。

  まあ、明にか実態は、現行法の上を言ってるのだけど、国内では騒ぐのに海外では野放しというのが、なんか納得しづらいんだよね。

  似たような話だと、海外で携帯をローミングで使ってテザリングしていると、結局のとこ国内IPアドレスになるので、NHKプラスもTverも普通にみれんだよね。

  こういう実態を見たら、 放送の圏域免許とか根本から見直せばいいのになぁと思う。まぁ通信放送融合は永遠のテーマなんだよね。


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