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2022-07-17 少数意見の尊重

_ [MISC] 少数意見の尊重

  2年半振りに海外渡航となった先々週の金曜日は、安倍元首相が殺されるという凄惨な事件が発生した。その後、参院の選挙と続いて、安倍元首相や安倍政権について、国内外からいろいろなニュースが飛び交っていた。とくに、安倍元首相や安倍政権に対する海外からの評価は、国内の報道とは随分と違うようだ。これって、やはり世界の中で日本という国や国民のもつ価値観がずれてるというこなのだろうかとも思ってしまった。

  ところで、国際標準化会合に参加しながら、一連のざわつきをみていて思ったことがあるので、ちょっと書いてみた。

  小学生の頃、道徳の時間で民主主義や多数決、議事運営の基本的なことを教わった。多分に、あの時代は、若い先生達がこういうことに拘りが強かった。大人になってからは、国際標準化に関わるようになって、集団での合意形成プロセスや、そこでの人の振る舞いについて、考えさせられることが多い。

  この前の参議院選挙でも、そのあとの安倍元首相に対する論評も、国葬に対する意見表明も見ていると、なんとなくマイノリティ側のコミュニティの稚拙さを感じてしまう。

  同じような、反マスク、反ワクチンの主張をしても、議席を確保した新興勢力もあれば、まったく話にもならなかった勢力もあって、なにが違うのかなとみてみると、まさにマイノリティとして訴求の仕方の違いなのでは思うとこもあった。

  自分または自分達の価値観や信条を主張することは、当然なのだが、それを受け入れない相手に対して、理解できない相手が悪い、理解しないのは相手側に問題があるということだけを訴求している勢力は、結局のところ求心力がないのだろう。こういうやり方をしていると、自らの訴求に対して賛同してくれるのは、身内だけというパターンに陥って、よりクローズになっていくのだろう。同じことを訴えるのでも、相手の否定からではなく、現状の認識の違いを認めた上で、ベターな展開を示す人の話しだと、異なる価値観の人達からも、耳を傾ける人が増えるのではないだろうか。

  議事運営規則などで保護しているのは、少数派であっても意見が言える機会を持てることであり、また意思表示ができることなのだ。つまり、その機会は、とりもなおさず賛同者を増やす貴重な機会なのだ。結果として、自らの意見や主張が採択されなかったとしても、一人でも聴衆に響くことが出来、賛同者が一人でも増えることが、望ましいのではないだろうか?

  ということは、否賛同者を非難することに労力を費やすより、自らを振り返ってどうやったら賛同者が増えるのかをもっと考えたほうがいいのではないだろうかと、最近のマイノリティーな人達の行動をみていてつくづく思うのだ。

  だからといって、マジョリティがその立場に奢って、少数派の持つべき機会や権利を奪うことはあってはならないのは言うまでもない。

  現状、日本の国会は与党が圧倒的多数を有しているので、特別決議を要する議案以外であれば、基本的には議案を可決できる状況にある。つまりは、マイノリティにとっては、結果として自分と異なる考えの案が採択されることになる可能性が限りなく高いわけだ。逆に、マジョリティ側からすれば、大きな方針や方向として、根本的に自分の価値観や信条と異なる結果にはならない。

  となれば、与党のなかでは、突拍子もないというか、あまりに賛同が少ない非難に惑わされて、貴重な時間を費やすよりも、大いに各論まで掘り下げた実質的な議論をし、馴れ合いや空気で議案を採決に持ち込まないでほしいものだとも思う。

  そういう意味では、いまこそ保守の中でも、いくつかの基本的な信条より、もう一段掘り下げたレイヤーの違いによる分派ができて、仮想的に二大政党状況になってくれてもいいかもしれない。


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