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2025-07-07 サンドウィッチとコリンズと

_ [][仕事][電波] サンドウィッチとコリンズと

  朝の特急かいじ号で新宿へと向かう。甲府の町を早朝に発ち、車窓に広がる盆地の果てを眺めながら、今日もまた東京へ「出征」する心持ちだ。最近は自家製のパンで拵えたサンドウィッチを、車内で広げるのが習慣になった。たとえビジネスマン然とした出立ちでも、腹を満たすのは己の手のぬくもりが残るパンだというだけで、心持ちはまるで違う。

  列車は甲府盆地の東を大きく回り、やがて笹子峠を越える。そのとき、トンネルを抜ける刹那、地元の酒蔵の看板がふっと視界に飛び込んでくる。ああ、この辺りに来ると、もうすぐ東京圏。だが、この先は山と山に挟まれた難所で、車内Wi-Fiは頼りにならない。文明の利器も、自然の前ではまだまだ腰が引ける。

  立川を過ぎてから一つ、ネット会議に参加した。声を出すために通路へ出たが、どれほど最新のノイズキャンセリング機能があろうとも、人間の神経というのは簡単には騙されない。背後を行き来する乗客の足音、車掌のアナウンス、そして自分の声が車内に溶けていくあの感覚——なかなかに、落ち着かぬものだ。

  事務所に着いて、久しぶりに顔を合わせたのは、長年ともに働いてきた事務員の彼女。三十年近く、いや四半世紀以上、私の仕事を内側から支えてくれた秘書であり、経理であり、そして同志でもある。とはいえ、私と同い年、もはや世間では「高齢者」と括られる年代だ。最近は、お互いの健康に話が及ぶことがめっきり増えた。

  午後、新しい案件の打ち合わせのため、常盤橋の某社の応接室へ。相手は、まだ退官して二年ばかりのキャリア官僚OBで、とにかく元気そのもの。頭の回転が尋常ではなく早いものだから、ついついこちらも調子を合わせてしまう。気づけば、こちらの提案がいつの間にか向こうの理論に吸い込まれている。あれは技術というより、生来の勝負勘というやつだろう。応接室の窓の外には、日本銀行本店のあの荘厳な建物が見える。誰もが「あそこに金が眠っている」と思いがちだが、私にはむしろ、あれが金を吸い込む巨大な黒い穴に見えてならない。

  会談が終わった後、八重洲口の大丸百貨店へ立ち寄り、夏用の半袖シャツを二枚。対応してくれたのは若い女性店員で、やたらと試着を勧めてくる。どうやらサイズの誤差が気になって仕方がない様子だった。「合わなかったら、すぐ交換しますからね」と、最後まで自分の見立てに責任を持とうとしていた。その真面目さがありがたい半面、こちらとしては少々たじろぐほどだった。

  この百貨店に来るたびに思い出すのは、少年時代のことだ。昭和の終わり、高度経済成長の余韻がまだ町のあちこちに残っていた頃、ここの売り場にはアマチュア無線機器のコーナーがあった。しかも、ただの無線機ではない。米国コリンズ社の製品が、まるで王の玉座のように鎮座していたのだ。大卒の初任給の何倍もする代物を、小学生だった私は、ただただ憧れのまなざしで見つめていた。

  ときには、勇気を出してパンフレットを一枚、そっと持ち帰ることもあった。でも、そのたびに売り場の係員が「どうせ買い物はしないくせに」と思っているのではないかと、内心ひどく気にしていた。あの視線が本当に向けられていたのか、それとも自分の卑屈な思い込みだったのか——今となっては確かめようもないけれど、それでも私は、何かを欲しがることすら後ろめたく思っていた年頃だったのだ。

  あの頃、「King of Hobby」と呼ばれたアマチュア無線は、少年の夢そのものだった。世界という名の大海へ、小さな無線機を通して船を出すことができた。銀座や神保町の老舗書店に並ぶ英米の無線雑誌を、ページをめくるだけで胸が高鳴ったあの時間こそ、幼き日の私にとって、最初の"世界との接続"だったのかもしれない。

  というわけで、今日のAI校閲のリクエストは、浅田次郎さん風で、ついでにイラストまで描いてもらった。

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