比較的のんびり起床して、昼にSunnyvaleのレストランで、ロイヤーとの打ち合わせ。実は、今回の目的は、EveyrSense,Inc.の閉鎖の最終処理で、今日必要な書類にサインをして、無事に米国のEveyrSense,Inc.は、廃業しました。
すでに、EverySene,Incの知財を含む資産は、昨年のコーポレートコンバートにより、エブリセンスジャパンに移管しているので、実質的には単なるコストカットではあるんだけど、あーまたやっちまったなという哀愁感に包まれていたりするわけです。
EverySenseは、僕の三度目の起業で、2014年にこの地に設置した会社です。この時、出資者との関係から、日本法人を作ることが要件であったため、日本会社と米国会社を設立しました。当初の思惑では、僕自身は、事務所も含めて相当に当地で業務を考えていました。
まあ、最初はIoTデバイスの生成するデータの流通ということで、ハードウェアも開発したかったので、その思惑はシリコンバレーのデザイナーなどとも出会えて、一定の効果はありました。
ただ、IoTは、どうしても機器ベンダにデータが牛耳られる傾向は、変え難く、ほくがやりたかった本当の意味でのThe Internet of Thingsという自律分散協調型のデータ連携には程遠いことに気がついて、途中からストアードデータの流通にとピポっティングしたのでした。
そして、このタイミングで、データというものの扱いでの制度的な部分や規約など政策、制度設計的な取り組みが重要なことも分かり、軸足を日本に移動しました。そこで、コーポレートコンバートという極めて珍しい手法で、日米の会社の親子関係を逆転させることもしました。
思い返すと、どうも僕は根本的に日本から離れられないらしい。一番最初は、新卒で入社した会社で、1984年に香港駐在の話が上がったのだけど、その時はすでに転職を決めていて、本当に悩んだけど断ったのだった。そのあとは、Root,Inc.の時は、最初のスペクトラム拡散の無線モデムを1996年に完成させて、米国の知り合いの事務所にオフィスを間借りして、プレスリリースやらプロモーションを仕掛けたけど、この時はまだまだ日本に軸足があった。
そんなこんなで、今度こそシリコンバレーでビジネスをと期待したEverySenseではあったけど、結局はまた軸足を移すことができなかった。
というわけで、年金をもらえる歳になったけど、今までに僕は留学も駐在も一度もなくて、結局のとこ日本から離れて生活をするということがないまま今日に至ってしまった。まあ、微かな望みのリタイアしたらとか、サバティカル的にとかも無いよなと思う。
ただ、無線機の開発をしていた時代から、もう数えきれないくらい、訪米はしていて、シリコンバレーも初めてきてから、40年近くになる。EverySenseを始めるまでは、在米の日本人の人とは、ほとんど付き合いがなかったのだけど、EverySenseの起業を機に、この地に住んでいるとても素敵な仲間と出会えたことは、本当に大きな宝になった。
というわけで、今夜はシリコンバレー在住の愉快な仲間と一献。いわゆる、駐在さんとかではなくて、こちらで四半世紀以上奮闘している人達は、本質的なことを話してくれるのがありがたいんだよね、