朝の便で、羽田からシャルル・ド・ゴール経由でロンドンに。羽田・シャルル・ド・ゴールは、昼間のフライトなので、結構仕事をするにはいい。 今回はJALだったのだけど、この前のフランクフルト行きのルフトハンザと比べると、機内Wi-Fiも安定していて使いやすい。
想定はしていたけど、パリは寒い。時間には余裕があったけど、T2への移動はセキュリティチェックして、シャトルバス乗ってと、結構めんどくさいな。考えたら、あまりCHDは使ったことがないので、不慣れというのもあるかもしれない。
CHD-LHRは、1時間半くらいのフライトで、ロンドンはさらに寒い。今回はLHRからバティントンまでヒースローエクスプレスで移動して、荷物もあるのでそこからホテルまではUberて移動。Door to Doorで22時間の移動は、まぁ疲れると言えば疲れるな。
移動中の機内で、大切な人の訃報を受け取る。メールと合わせて共通の知り合いからのメッセージも届いた。世間一般でいう年齢的な見方からしたら大往生なのかもしれないけど、僕には悲しすぎてしまう。
1988年頃に会社勤めを辞めて、会社の元上司の知人が経営する組み込み系のソフト開発の会社に参加した。ここでは、家電などの組み込みマイコンのソフト開発をしていたのだが、その時に主要なお客さんが、広帯域受信機で有名なA社だった。
元々、無線好きだったので、トランシーバーのマイコンや、測定器のGPIB制御装置やらの開発を受託としてやっていた。ここの社長のTさんは、とても先見の明がある人で、日本に最初にPLLを持ってきて製品化し、デジタルシンセサイザ式のトランシーバーで、新しい時代を開いた。その後、周波数を直読できる広帯域受信機で一世を風靡した。
僕は、一緒にデイトンに行って、DDSを見つけてきて、それを採用した受信機を開発したり、DSPの出始めの時期、アナログの変復調を全てソフトで行うSDRを開発したり、デジタル直交変換を採用して、高い中間周波数でデジタル化する受信機を開発した。
そして、彼と一緒に1993年頃に西海岸に出張している時に、EDNという雑誌の広告で見つけたのが、DSSSのチップだった。当時、まだチップは完成してなかったけど、直ぐにサンノゼに飛んで訪問して、テストボードをその場で購入して、αチップの評価者となったのが、スペクトラム拡散との付き合いの始まりだった。
知り合ってから37年くらいになるのだけど、その後の EverySenseの時にも、色々と助けてもらってきた、僕にとっては本当に父親のような存在だ。最近は、なかなかお会いできてなくて、年内に一度は顔を見にと思っていた矢先の訃報で、もうなんとも言えない辛さがある。
サラリーマン時代の上司達よりも、独立してからお付き合いいただい人たちの方が少し世代が上で、僕にとってのお父さん、お母さん的存在の人は、だんだんと悲しいお別れが増えてきてるのが、最近は寂しくて仕方ない。
残されたご家族とも親交はあるけど、なんとお声がして良いやら...本当に長い間ありがとうございました。何も恩返しもできなかったかと悔しい思いでいっぱいですが、安らかにお眠りください。 合掌